世界最初の発酵食品は、牛乳から偶然にできたヨーグルトとされ、紀元前5000年頃に生まれたと言われます。それから何千年もの長きに渡り、世界の多くの地域でも、日本と同様に、仕組みが分からない発酵を技術化する工夫が重ねられていました。
大きな転機が訪れたのは、わずか340年ほど前。オランダのレーウェンフックが顕微鏡を発明し、肉眼では見えない微生物の存在を示したことです。それから急速に研究が進み、「近代細菌学の祖」と言われるフランスのパスツールの研究などにより「発酵(腐敗)は微生物が起こす現象」という事実も証明されました。
人間界に突如現れた「微生物」は(実際は人間よりずっと古くから地球に存在していたのですが)、醸造発酵にも革新をもたらします。ビール酵母などの酵母が見出され、それを使った発酵技術が確立されると、格段に安定した高品質のアルコール生産が可能になり、世界中でより豊かに酒文化が花開きました。
戦渦での技術革新
第一次世界大戦下では、爆薬の素材となるニトログリセリンを発酵で大量に作ろうと各国が競い合い、技術革新に躍起になりました。この時期から発酵は、工業における「大量生産のための技術」という役割も担い始めます。
また、世界最初の抗生物質であるペニシリンは、第二次世界大戦で多くの命を救いました。抗生物質とは、微生物が生産する「他の微生物の機能や増殖を阻害する」物質で、感染症などの治療に用いられます。戦況が激化し、多くの負傷兵が衛生状態の悪化による感染症で命を落とす中、英米が迅速にペニシリンの大量生産技術を築いたのです。
2つの大戦は、発酵技術を大きく進歩させました。しかし、戦争がいかに進歩を加速するものであっても、発酵の在り方を定義する「人間にとって有益な微生物の活動」という言葉が表すとおり、今後は常に平和な状況での発展が望まれます。
日本がリードしたアミノ酸発酵
第二次世界大戦後に開発された革新的な技術に、「
実は、このアミノ酸発酵の研究をリードしたのは日本でした。第二次世界大戦後、食生活におけるタンパク質不足は、日本が克服すべき重要課題でした。そのため多くの研究機関でタンパク質とアミノ酸の研究が成され、その結果、アミノ酸発酵の技術が誕生したのです。
このような時代を経て、発酵は、食品、医療などを中心に産業として大きく発展しました。